引用は『小人たちが騒ぐので』より。
なぜか、「コスプレ」というタイトルの中で、古風な言葉づかいによる話のやりとりがされています。ちょっと分かりにくいので、「掛詞」の説明をする前に、この2人の会話を現代語に直してみます。
コスプレ
テレフォン (ルルルルル)
カワハラ「誰?」
東(編集)「 東です あなたが
『すぐにでも行こう』と
言ったばかりに
陰暦九月の有明の月が出てくるまで
待ち明かしてしまいました
どうしてですか」
カワハラ「ありゃ!
山里では、冬にはその寂しさが
いっそうまさるものです。
今まで訪れてきた人も来なくなり、
草も枯れてしまうと思うと」
東(編集)「大丈夫です
心配しないでください
自然に花の開く時を知っている
秋の野原の花はどれも
月の匂いがします」
と、直訳するとこういう感じになります。しかし、このように直訳しただけでは、意味のよく分からない文になってしまいます。これは、引用した部分に出てくる3つの和歌が、「
引喩」としてはたらいているからです。
ですので、多少の脚色を加えながら意訳をしてみると、こんなふうになります。
コスプレ
テレフォン(ルルルルル)
カワハラ「どちら様ですか?」
東(編集)「東です。 あなたが
『すぐにでも原稿を書きます』と
言ったばかりに
長い間待たされて
待ち明かしてしまいました
どうなっているんですか」
カワハラ「ありゃ!
山里での冬のように、
私のマンガにも寂しさが
いっそう強くなってきている。
今まで読んでくれた人も読まなくなり、
私の原稿も、草が枯れる
ようになってしまうと思うと」
東(編集)「大丈夫です
心配しないでください
秋の野原に咲く花が、
自然に花の開く時を知っている
のと同じように、
あなたのマンガも締め切りに間に合えば、
自然と人気が出てきます」
と、意訳をすると、だいたいこんな所だと思います。
…と、場面の説明にやたらと長いスペースを使ってしまいました。ここは、「掛詞」のページなんです。ようやく、その「掛詞」の説明に入ることにします。
問題となっている「掛詞」が使われているのは、3つある和歌の中の2番目のものです。
山里は--
冬はさびしさ まさりける--
人目も草も
かれぬと思へば--
この和歌の中にある「かれ」というのが「掛詞」になります。
[一つ目の意味]
→「人目がかれる」。つまり、今まで訪れてきた人が来なくなってしまう。
[二つ目の意味]
→「草が枯れる」。つまり、冬になると草が枯れてしまう。
と、「かれ」という言葉に2つの意味が出てきます。ですので、これは「掛詞」にあたります。
下に書いた「掛詞の2つのパターン」で振り分けると、今回のものは「2.一つの言葉に、そのまま二つの語の意味を兼ねて使うもの」に当たります。