長歌:「五・七」音を反復し「五・七・七」で終わる和歌の一つ
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長歌 ちょうか --

『ぴたテン』5巻68ページ(コゲどんぼ/角川書店 電撃コミックス)
  • テン「オレはどこの中学にも 行けねーんだよ!!
  • 父親が入院して 受験すんなって…
  • おかげで毎日 貧乏暮らしさ コンチキショー!!
  • 食事は一日一回 あったりなかったり
  • そんなオレにとって 紫亜さんの弁当は
  • 鼻血ブーの カロリーメイツ
  • ビバ!カロリーとの遭遇」
  • テン「天地は広しといえど
  • 吾が為は 狭(さ)くやなりぬる (中略)
  • 伏廬(ふせいお)の 曲廬(まげいお)の内に
  • 直土(ひたつち)に 藁(わら)解き敷きて (中略)
  • 竃(かまど)には 火気(ほけ)ふき立てず
  • 飯(こしき)には 蜘蛛の巣懸(か)きて
  • 飯炊(かし)く事も忘れ…
  • 〈訳〉天地は広いといえど、
  •  私には狭くなってしまったのだろうか…
  •  低くつぶれかけ曲って傾いた家の
  •  地べたにわらをしき…
  •  かまどには火の気なく
  •  甑には蜘蛛の巣がはって
  •  飯を炊くのを忘れた様だ…
  • 山上憶良〈貧窮問答歌〉」
  • コタロー「その様な生活を
  • なさってたとは 申し訳ない…」
  • テン「オイオイ そこでちょっと
  • ツッコメよ 受験生!!
  • あーもうどっから ギャグだか本当だか
  • わかんねーだろ もう!!」
-『ぴたテン』5巻68ページ(コゲどんぼ/角川書店 電撃コミックス)
  • 定義重要度2
  • 長歌とは、「五・七」の音を交互にくり返したあと、最後を「五・七・七」の音で終わらせるという、和歌の一種です。そのあとに、「反歌」と呼ばれる短い歌がつけられることが多くあります。

  • 例文を見る)
  • 引用したところは、話の流れとは全く関係のない部分です。

    クラスメートの「テン」は、自分の父親が入院したことから貧乏生活をおくっている。そしてそのことを、なぜか、山上憶良の「貧窮問答歌」にたくして語っている。そういう、「ギャグ」なのか「シリアス」なのかよくわからない、4コママンガです。

    で。
    そこに書かれている「貧窮問答歌」(山上憶良)の部分が、「長歌」というわけです。

    なのですが、引用した例文には省略が多い。なので、「長歌」と見きわめるのが難しい。ということで、「貧窮問答歌」の「答え」に当たる部分を、省略なしで書いておきます。もう少しキチンと説明すると、「貧窮問答歌」は、その名前のとおり、「問い」の部分と「答え」の部分に分かれています。そのうちの、「答え」の部分を全文書き出しておくということです。
    天地は 広しといへど 吾が為は 狭(さ)くやなりぬる 日月は 明しといへど 吾が為は 照りや給はぬ 人皆か 吾のみや然る わくらばに 人とはあるを 人並に 吾も作れるを 綿も無き 布肩衣の 海松(みる)の如 われけ さがれる 裾(かかふ)褄のみ 肩にうち懸け 伏盧の  盧(まげいほ)の内に 直土(ひたつち)に 藁(わら)解き敷きて 父母は 枕の方に 妻子ど もは 足(あと)の方に 囲み居て 憂へ吟(さまよ)ひ 竃(かまど)には 火気(ほげ)ふき立てず 甑(こし)には 蜘蛛の巣懸きて 飯炊く 事も忘れて 鶴(ぬえ)鳥の 哺吟(のどよ)ひ居るに いとのきて 短き物を 端裁(はしき)ると 云へるが如く 楚取(しもと)る 里長が声は 寝屋戸まで 来立ち呼ばひぬ かくばかり 術無きものか 世間(よのなか)の道

    以上、原文は『万葉集』の巻五、訳は『古代詩の表現(シリーズ・古代の文学7)』(古代文学会[編]/武蔵野書院)によりました。

    いや。
    意味をわかってもらおうと思って、「貧窮問答歌」を書いたわけではありません。ただ、「五・七」のくり返しの後、最後に「七」の音が置かれるということを確認してほしかっただけです。「世の中の道」は、「よのなかのみち」で「七」音になっているので、典型的な「長歌」だということが確認してもらえれば、それで十分です。
  • レトリックを深く知る

  • 深く知る1「長歌」が次第に作られなくなった理由
  • 万葉集には、多くの「長歌」が載せられていました。ですが「長歌」は、平安時代以降には衰えてしまいました。

    このように「長歌」が衰えてしまった理由。それは「長歌」が担っていた意味から、みちびきだすことができます。

    つまり、「長歌」というのは。
    もともと、古代の「氏族」という共同体が、昔から引き継いできた「伝承」という意味がありました。つまり、その「氏族」が代々もっていた、「伝説」という意味がありました。

    ですが、日本が大和朝廷によって統一されると、次のようなことがおこりました。それは、「氏族」を共同体とした考えかたから、大和朝廷を共同体とする考えかたに移りかわる、ということです。

    そのため、もともとあった「氏族」という共同体が消えてなくなっていくという歴史をたどっていきます。そしてそれは同時に、「長歌」という形式の歌謡が必要なくなったことになります。

    以上、『古代詩の表現(シリーズ・古代の文学 7)』(古代文学会[編]/武蔵野書院)の[長歌論(古橋信孝)]を参照のこと。

  • 深く知る2「長歌」と「音数律」との関係
  • 「長歌」は、「五・七」の音をくり返すことから「 音数律」の一つといえます。
  • レトリックの呼び方
  • 呼び方5
  • 長歌
※「長歌」は、「ちょうか」と読むのが一般的です。けれども、「ながうた」と読むこともあります。
  • 参考資料
  • ●『古代詩の表現(シリーズ・古代の文学 7)』(古代文学会[編]/武蔵野書院)
  • 上でもこの本に触れました。ほとんど、このページのネタ本です。
  • ●『万葉修辞の研究〈山口正著作集 第一巻〉』(山口正/教育出版センター)
  • 多くの「長歌」が残っているのは万葉集です。なので万葉集を研究している本は、「長歌」についても深く掘り下げているということができます。そこで。「長歌」について、レトリックの面から書かれている本として。この本を、オススメしておきます。
  • 余談

  • 余談1小学6年生にできる芸当なのか?
  • しかし。
    これは、とてもじゃないけれど、「小学6年生」どうしの会話とは思えない。

    自分の貧しさを「貧窮問答歌」にたくして伝える。レトリックっぽくかけば「 引喩」を使いつつ、ことばを相手に投げかける。受け取る側も、そういった話し手の考えを理解して、なぐさめの言葉をかける。

    …こういう会話は、話し手も聞き手も、ともに「貧窮問答歌」の知識がないと成り立たないはず。だけれども、「コタロー」と「テン」との間では、それが通用している。

    やっぱり、「小学6年生」レベルの会話とは思えない。