例文は『氷菓』1巻から。
このシーンでの登場人物は2人。主人公の折木(折木奉太郎)と、ヒロインの千反田(千反田える)。両者ともに、高校の古典部に所属している。
折木は、時間の浪費となることは、興味がもてない。折木の合いことばは、「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことなら、手短に」(8ページ)というもの。
千反田は、文化祭で文集を発行したいと思う。そして、それを折木に相談してみる。すると折木は、いつものように「文集をつくるのは時間がかかる→浪費→やりたくない」と考えてしまう。
そんな折木に、文集を発表するのを賛成してほしい。そのために、千反田が折木に説得している。それが、引用した場面です。
この引用した部分が、なぜ「循環論法」なのか。それは、
と書いてあるからです。このページで扱っている「循環論法」というのは、「トートロジー」の一種です。なので、この場面を「トートロジーだ」と表現するのは、正しい受けとめかたです。
では具体的に、どの部分が「循環論法にあたるのか、見てみることにします。
- 五反田「いえ結果としての文集を
- 目的にしていれば、それを目的に
- 結果を作るという目的ができます」
となっています。これは、使いかたのうち[
「AはBである。なぜならBはAだからである」というタイプ
に当てはまります。このシーンの「結果」をAとおいて、「目的とする。そうすれば、「循環論法」であることが見えてきます。つまり、「A」を「B」にしていれば、「B」は「A」をつくる
ということです。
また、もう1つ。
- 五反田「結果を目的にすれば――
- それを目的にして
- 結果を作ろうとするでしょう?」
というもの。こちらのセリフも、「AはBである。なぜならBはAだからである」というタイプ
となっています。こちらも、上に書いたのと同様に、「A」を「B」にしていれば、「B」は「A」をつくる
となっています。