反語的讃辞:表面上褒めるが、実際にはけなす表現
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反語的讃辞 はんごてきさんじ élévation(フランス語)

『さよなら絶望先生』1巻124~125ページ(久米田康治/講談社 マガジン・コミックス)
  • 風浦可符香「そう日本人はみな やさしいのよ」
  • お客様の気持ちになって
  • 親身になって 貸してくれる
  • 消費者金融のやさしさ!!
  • 軽い風邪なのにお薬をいっぱい
  • 出してくれるお医者様の やさしさ!!
  • 30すぎて ニートでも
  • 養ってくれる親のやさしさ!!
  • >「みーんなやさしいんです」
  • ・ワンちゃんにも服を着せるやさしさ。
  • ・ゴール前フリーでもパスするやさしさ。--(以下略)
-『さよなら絶望先生』1巻124~125ページ(久米田康治/講談社 マガジン・コミックス)
  • 定義重要度2
  • 反語的讃辞は、「表面だけ」相手を誉めたり、たたえたりするものというものです。 つまり、表面だけ肯定的だけれども、実際には「けなしてくる」といった効果があります。

  • 効果

  • 効果1非難や中傷などをする

  • 本心では相手のことを「非難したり」「責めたり」「中傷したり」「誹謗したり」している。これが「反語的讃辞」の効果になります。
  • キーワード:とがめる、見とがめる、非難、責める、責め立てる、叱る、怒る、中傷、けなす、そしる、誹謗、けなす、ののしる
  • 使い方
  • 使い方1見せかけだけは、誉めている

  • たしかに、見せかけだけは「誉めたり」「たたえたり」するためのことばを使われてる。だけれども、それは本心とは反対のものだ。そういったレトリックです。
  • 例文を見る)
  • 上の引用は、『さよなら絶望先生』1巻。

    >引用しているシーンは、「風浦可符香」が「マリア」に「日本人のやさしさ(?)」を教えているところです。1つめのコマのうちで、右に描かれているのが「風浦可符香(P.N.)」。そして、風浦可符香の左にいるのが「マリア(不法在校)」です。

    この場面で「風浦可符香」が並べているのが、「反語的讃辞」というわけです。つまり、たしかに見た目だけでは、「やさしい」とか「やさしさ」といえるかもしれません。ですが実際には、ちっとも「やさしく」ありません。というか、どちらかといえば迷惑です。

    たぶん。このシーンにかかれているのは、ぜんぶ「反語的讃辞」といえると思います。なので、いろいろ書かれているうち1つだけを見ていくことにします。

    たとえば
    [[[tuliお客様の気持ちになって
  • 親身になって 貸してくれる
  • 消費者金融のやさしさ!!
と、まあ。たしかに、消費者金融に行って借りようとすれば。受付の人は、ニコニコしてくれるはずです。(最近は、窓口に行かなくても借りられるけど。)

さてここで。
消費者金融」は「やさしさ」があるから、「親身になって 貸してくれる


のでしょうか? と。その質問にたいしては、断固として「NO」と言い切れます。理由も、べつに書く必要がないとおもいます。

で。「風浦可符香」がいくつも並べている「やさしさ」。これが「表裏のある」「偽善的な」表現だから、「反語的讃辞」となるわけです。

なお、この、『さよなら絶望先生』の例文について。

このシーンでは、「風浦可符香」が「マリア」を非難しているのではありません。なので、ちょっとイレギュラーです(どちらかといえば「 諷刺」にあたります)。ですが、「消費者金融」とか「お医者様」やら「ニート&その母」を「見せかけだけ、ほめている」ことには違いありません。ですので、この「反語的讃辞」という項目で、扱ってみました。
  • 例文を見るその2)
  • 『けいおん!』2巻46ページ(かきふらい/芳文社 マンガタイムきららコミックス)
    • 律「飽きた」
    • 澪「早いな!!」
    • 「計画立ててやらないから
    • はかどらないんだよ」
    • 律「なんですと!!」
    • 「ちゃんと計画立ててやってるよ!!」
    • 澪「あ そうなの?」
    • 律「私の計画
    • (澪の家で一夜漬け)」
    [
    • 澪「それは立派な
    • 計画ですこと


    もう1つ「反語的讃辞」にあたるものを書いておきます。

    引用は『けいおん』2巻から。

    登場するのは、律と澪。2人が通っている学校での期末テストが、明日にせまってきた。

    律は(テスト前日に)、澪に勉強を教えてもらおうと考える。そこで律は、澪の家に押しかけてる。そんなわけで、律の澪の2人でテスト勉強をすることになった。

    しかし律は、勉強を始めるとすぐに「飽きた」の声をあげる。そのため澪に、「ちゃんと計画を立てて勉強をする」ように諭されてしまう。

    そこで律は反論する。「澪の家で一夜漬けする」のが、計画だと。

    それに対する澪のひとことが、「反語的讃辞」になっています。
    それは立派な計画ですこと

    と。

    ポイントは、3つあります。

    • 表面だけ見ると、誉めている
    • 「立派だ」というのは、原則的には「誉めことば」です。なので表面だけを見た限りでは、プラスの評価をしているように思えます。

    • 実際には、誉めてはいない
    • ですが実際には、律の計画は、ほんとうは「立派な計画」ではありません。

    • 結果として、非難や中傷をしている
    • なので、その「立派ではない」はずの計画について、ことさら「立派だ」と言っていることになります。


    このことから、ここに登場した
    それは立派な計画ですこと

    という澪のコメントが、「反語的讃辞」となるわけです。


    depth
  • レトリックを深く知る

  • 深く知る1ことばの先頭に「お」「ご」をつけると、「反語的讃辞」になる
  • 単語の前に「」とか「」とかいった「接頭辞」をつけ加える。これが、いちばんカンタンに「反語的讃辞」作る方法です。

    たとえば。
    「立派」のアタマに「」をつけると、「立派」という言いまわしになる。もしくは、「利口」の前に「」をプラスすると「利口」というフレーズになる。こんなふうにしてできあがった単語は、「反語的讃辞」です。

  • 深く知る2「反語的讃辞」と「皮肉法」との関係
    • 皮肉法」の一種として「反語的讃辞」を見た場合には、
      回りくどさ
    • ワザと自分が思っていることと反対のことを言う
    • 推論
    • 聞き手のほうでは、相手の言っていることが思っているのと反対だとキャッチすることになる
    • トゲがある
    • 相手を非難したり批判したりするために使う
    • 引用性
    • 相手が言ったり行ったりしたことに関してのことを言う

    という「 皮肉法」になるための条件にあてはまっています。このことから、「反語的讃辞」は「 皮肉法」の1つだと言うことができます。

    皮肉法」に当てはまるレトリックについては、「 皮肉法」のページにまとめておきました。ですので、「 皮肉法」のページもご覧ください。

  • 深く知る3〈皮肉の「しるし」〉
  • ふたたび、『さよなら絶望先生』に戻って。
    消費者金融」の「やさしさ」について描かれているコマ
    を、よーく見てください。

    すると。ニコニコとした受付嬢の背後に、体半分だけ隠れている男が見えます。いかにも「あくどい」感じのする、腹黒そうな男です。

    そして、実は。
    この男に、「皮肉法」の大事なポイントが隠されています。

    このシーンで、受付嬢の後ろにいる男。コイツが、「この受付嬢のニコニコ顔は、オモテだけのものですよ」ということを示しているのです。あるいは「見せかけなんですよ」ということを、読者が気づくようにしているのです。

    そして、その考えを進めていくと。ここで出てきている「あくどい男」というのが、皮肉だという「しるし」だといえます。つまり、「本当は反対の意味で使っているので、オモテだけを額面どおりに受けとらないでください」という「しるし」。それが、この腹黒男だと考えることができます。

    たいていの「皮肉法」では、このような「しるし」を使うことになります。
    そこで、こういった「皮肉法」で登場する「しるし」。これを、〈皮肉の「しるし」〉…と、たった今、名づけました。

    この〈皮肉の「しるし」〉というのは。レトリックの学者が、よく

    • 「反語信号」
    • 『メタファーの現象学』(滝浦静雄/世界書院)
    • 『背理のコミュニケーション-アイロニー・メタファー・インプリケーチャー-』(橋元良明/勁草書房)

    とか、
    • 「イロニーの信号」「アイロニー信号」
    • 『トーマス・マン-イロニーとドイツ性-』(洲崎惠三/東洋出版)
    • 『恣意性の神話?記号論を新たに構想する?』(菅野盾樹/勁草書房)

    と呼ぶものです。

    まあ、どのような呼びかたをしても、かまわないと思います。「聞き手=読み手」の側で、これは「皮肉法」だなと気づいてもらうことのできるようにする、そのための目印。その目印を、たった今〈皮肉の「しるし」〉と名づけました。

    この〈皮肉の「しるし」〉は、皮肉を使うのが「どのような状況・シーン」なのかによって、違いがあります。

    • 「相手がその場にいる会話」のばあい
    • 身振りや手振り。苦笑いなど。
    • ことばだけでなく見た目で、〈皮肉の「しるし」〉をあらわすことができる


    • 「見えない相手との話しことば」のばあい (電話とか)
    • イントネーションとか、その部分を強く言ったりするなど。
    • >声だけで、〈皮肉の「しるし」〉をあらわすことになる

    • 「書きことば」のばあい (おもに文章)
    • そのシーンでは付ける必要のないものを余計に書くことで、〈皮肉の「しるし」〉をあらわすことになる。
    • たとえば、このページの《定義》に書いたように「利口」に「お」をつけて「お利口」とすることで、〈皮肉の「しるし」〉を作ることができる。
    • もしくは、必要のない場所に、《 》〔 〕ようなカッコを使うことでも〈皮肉の「しるし」〉としての役割を果たすことができる。

    といったふうに。シーンによって、どのように〈皮肉の「しるし」〉を表現するのかは、さまざまです。

    そして。
    このサイトは、「ふき出しのレトリック」という名前をつけてあります。ですので、いちおうマンガのばあい〈皮肉の「しるし」〉は、どのようになるのか。そういったことを、ちょっと書いておくことにします。

    「マンガ」で〈皮肉の「しるし」〉は、どのように表現することができるか。それを、またもや「消費者金融の腹黒男」のような例で考えてみます。すると、
    「マンガの場合」のばあい
    • 見せかけ(オモテ)
    • ふき出しという「文字」のかたちで、あらわされている。
    • (風浦可符香のセリフの部分)
    • 本心(ウラ)
    • 「イラスト」で、示されている。
    • (うしろに、あやしい男が絵として登場している部分)
    といえそうです。
    ただ。このような「マンガの場合」であっても、〈皮肉の「しるし」〉となりうるということ。これが「皮肉/イロニー/アイロニー」を専門としている学者の方々に「一石を投ずる」ようなものでない --ということだけは確かです。

    なお。
    『さよなら絶望先生』にあげた、例の中で。この〈皮肉の「しるし」〉というものが何なのか、ちょっと迷うのは「30すぎたニート」の例です(「30過ぎのニート」も「その母親」も「養う」のも全部ダメじゃないかと思ってしまう)。
  • レトリックの呼び方
  • 呼び方5
  • 反語的讃辞
  • 呼び方1
  • material
  • 参考資料
  • ●『レトリック事典』(佐藤信夫[企画・構成]、佐々木健一[監修]、佐藤信夫・佐々木健一・松尾大[執筆]/大修館書店)
  • 「反語的讃辞」については、1ページくらいしか書かれていません。ですが、「反語的讃辞」について書かれている本自体がほとんどない。なので、とりあえずこの本をオススメしておきます。
  • 余談

  • 余談1時代遅れ?--2005年のマンガなのに
  • 今回、スマホ対応のページを作るために、このページを校正していました(2020年2月)。すると、こんな文章に出くわしました。

    このページを書いたのは2008年だそうです。このあとに「けいおん!」の部分を追加していますが、基本は2008年の文章だそうです。

    まあ200ページあるサイトだから、それほど管理が行きとどかないとは思う。でもこれが、このサイトの有りのままなんだと実感しています。


    以下が原文

    このマンガが描かれたのは、2005年です。単行本も、2005年に発売されています。

    そして。私(サイト作成者)が、この項目を書いているのは2008年です。

    してみるに。
    2005年から2008年までの、たった3年。3年だけなのにもかかわらず、すでに「時代遅れ」となっているものがあります。たしかに、このマンガが「諷刺」を中心として描かれているものです。それにしても、3年にして、すでに「時代遅れ」のものがあります。

    その「時代遅れ」っぽいのが、いちばん色濃くでているのは。「消費者金融」の例です。
    借り手が、「グレーゾーン金利」にあたる利息分のお金を返した場合について。最高裁判所は(貸金業法43条が適用されないので)お金を違法に多く取っていると判断としました。これが、2006年です(最判平18・1・13)。

    この判例が出たので。そのあとは、「消費者金融の腹黒さ」も、すこしは弱くなったと言われている。だから、このように「諷刺」することが、もう「時代遅れ」を感じてしまうです。

    あと。医者が、やたら多く処方することも少なくなってます。これも、「医薬分業」というシステムが少しずつ進んでいるからだなのでしょう。

    みんなにとって、迷惑なコト。だれもが、不都合だと思うコト。そういったコトが、少しずつでも減っていく。それは、いいことなのでしょう。たぶん。