婉曲語法:ものごとを遠回しに言うこと
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婉曲語法 えんきょくごほう euphemism

『とらわれの身の上』5巻46ページ(樋野まつり/白泉社 花とゆめCOMICS)
  • 鈴花(きょろ)
  • ちょっと行ってくる
  • 恵はここにいてね」
  • 恵「鈴花!? どこに…」
  • 鈴花「……ついて 来ないでね
  • 恵「…はい」
  • 鈴花「あまり遠くには
  • 行かないから
  • 安心してねー」
  • 恵「はーい…」
  • (ガサ ガサ ガサ)
  • 「…は——…」
  • (トイレか……)
-『とらわれの身の上』5巻46ページ(樋野まつり/白泉社 花とゆめCOMICS)
  • 定義重要度5
  • 婉曲語法は、ものごとを遠回しに言うことの総称です。相手にとって不利益になることや、不快感を与えるようなことを、ぼかして表現することになります。

  • 効果

  • 効果1タブーのものに言及するときに、遠回しの表現をとるってける

  • 直接的で露骨に伝えることをせずに、あたりさわりのない表現に切りかえることになります。この対象になるものには、生老病死や、神・性・排泄・金・政治・人種・職業・障害などが挙げられます。タブーに当たるために、そのことをあらわす表現を婉曲にしているのです。
  • キーワード:タブー、禁忌、不快、不愉快、悪感情、うるさい、不吉、下品、汚い、あからさま、見るからに、衝突、トラブル、もめる、もめごと、いざこざ、ごたごた

  • 効果2他人との衝突・トラブルを避ける

  • 「婉曲表現」は、他人との衝突を避けるために使われることになります。聞き手に不快感を与えないために露骨な表現を避けるばあいが、この「婉曲語法」が使われる場面の例に当たります。
  • キーワード:思いやり、やわらげる、ゆるめる、ゆるむ、ゆるまる、なごむ、弱める、弱まる、ばくぜん、ぼんやり、おだやかな、間接的、縁遠い、あたりさわりない、おだやか、それとなく、そっと、やさしさ、好意的
  • 使い方
  • 使い方1「響きの悪い言葉」を「響きの良い言葉」に置きかえる

  • 「響きの悪い言葉」を「響きの良い言葉」に置きかえるという、一般的で常識にそった方法で使われます。
  • 使い方2何度も使うと、効果を弱めてしまう

  • これには、2つの意味があります。1つ目は、1人が何回も使うと説得力がなくなるということ。2つ目は、社会で人々が使いすぎたことで婉曲的な意味をもたなくなってしまうということです。
  • 例文を見る)
  • 例文は『とらわれの身の上』5巻。

    主人公は、鈴花。

    鈴花と恵は、竜神の呪いを解くために、中国へと向かう。その「呪い」とは具体的にどんなものかは、長くなるので省略します。まあいちおう、「活写法」のページに書いてありますが。

    とにかく2人は、中国へ旅立ちます。その中国でのドタバタのため、夜は山の中で野宿をすることになってしまう。

    その時の鈴花のことばが、「婉曲語法」にあたります。鈴花は、
    ちょっと行ってくる
    ……ついて 来ないでね
    としか言っていません。ですが、鈴花が何を言いたかったのかは分かるようになっています。恵の言うように、
    トイレか……
    というのが正解。鈴花は「トイレ」と言うのをためらて、「ちょっと行ってくる」「……ついて来ないでね」としか言っていません。ここが「婉曲語法」にあたります。
  • レトリックを深く知る

  • 深く知る1「婉曲語法」と、ほかのレトリックとの関係

  • 深く知るa「婉曲語法」と「稀薄法」との関係
  • 「婉曲語法」を細かく分ければ、「 稀薄語」に分類できます。

  • 深く知るb「婉曲語法」に含まれるレトリック
  • この「婉曲語法」は細かく分けると、次のように分類できます。
    • 迂言法:簡単に言おうと思えばできるのにもかかわらず、わざわざ回りくどい言いかたをするレトリック
    • 稀薄語:そのままだと表現がどぎつくなったりする場合に、古語や外国語などを使って表現を淡くするレトリック
    • 代称・ケニング:複合語を使って遠回しに言うレトリック
    • 遠曲語法:忌みことばを嫌って、反対の言葉を使うレトリック(「葬式」という代わりに「吉事」と言うなど)
    • 抑言法:表現の激しさ・生々しさの緩和のために穏やかな表現にするレトリック
    • 転喩:ある物事を直接に言うかわりに、それに先行または後続することを言うレトリック
    • 含意法:直接言うのではなく、表現から推論されるように間接的に伝えるレトリック
    • 諷言:会話などで、物になぞらえて遠回しに言うレトリック
    • 美化法:醜いものを美しいものに言いかえて、遠回しに表現するレトリック
    こういったものが、「婉曲語法」の下位分類として挙げられます。たしかに何か、ダブっているレトリック用語もあるような気がするのですが、とりあえず並べておきます。

  • 深く知るc「婉曲語法」と「緩叙法」との関係
  • 「緩叙法」は、形の上では「婉曲語法」と同じものになってしまいます。なので読み手(聞き手)は、それが「緩叙法」なのか、それとも「婉曲語法」なのか、それをしっかりと見極める必要があります。なお「緩叙法」については、「 緩叙法(広義の)」を参照して下さい。

  • 深く知るd「婉曲語法」と「軽蔑語」との関係
  • 「婉曲語法」の正反対に位置するのが、「 軽蔑語」というレトリックです。これは、ようするに「悪口」をいうことです。つまり、不愉快な気持ちや不快感を与えるために、わざと人を侮辱するような言葉を使うものです。
  • レトリックの呼び方
  • 呼び方5
  • 婉曲語法
  • 呼び方4
  • 婉曲法・婉曲・婉曲表現
  • 呼び方2
  • ユーフェミズム・遠曲法・遠曲語法
  • 呼び方1
  • 美化法・美称
  • 参考資料
  • ●『レトリックの記号論(講談社学術文庫 1098)』(佐藤信夫/講談社)
  • 下の《余談》では、この本について書いておきました。
  • ●『日本語のレトリック—文章表現の技法—(岩波ジュニア新書 418)』(瀬戸賢一/岩波書店)
  • 子供向きに書かれた本です。けれども、大人が読んでも十分に役に立ちます。個人的には、オススメです。同じ者の『レトリックの知—意味のアルケオロジーを求めて—』(瀬戸賢一/新曜社)では、もう一段アップした解説がされています。
  • ●『言語学大辞典 第6巻術語編』(亀井孝・河野六郎・千野栄一[編著]/三省堂)
  • 辞典の類としては、かなりスペースを使って説明がされています。
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  • 余談

  • 余談1序論——「婉曲語法」が見あたらない
  • 『レトリック事典』には、「婉曲語法」という項目がありません。というか、佐藤信夫先生のレトリック観には、「婉曲語法」というものがありません。

    これはたぶん、他のレトリック用語があるので十分だというのではないのです。「緩叙法」で足りるとか、「迂言法」があるので間に合っているとか、そういった考えに基づくものではないのです。

  • 余談2本論——なぜ「婉曲語法」がないのか
  • では、なぜ「婉曲語法」がないのか。
    このことについて私(サイト作成者)は、『レトリックの記号論(講談社学術文庫 1098)』(佐藤信夫/講談社)から推察することができるのではないかと思います。

    つまり佐藤信夫先生の、
    地味にふるまっている記号表現でも、その意図とは無関係に、単に「発言された」というその事実によってすでに一種の強調となってしまうのだ。
    という記述から、くみ取ることのできるものがあるのではないかと思うのです。

    結論を書くと、
    佐藤信夫先生は、レトリックによって表現が「弱められる」ことを認めていない
    と考えているのではないか。そのように、私(サイト作成者)は受け取っています。

    というのは、上で引用した文章を見ると。
    ふつう「記号表現」ということばは、「シニフィアン」を指している。そして、「シニフィアン」が強調される、という文章には読むことができない。このことから、主語は書かれていないけれども「シニフィエ」であると思われる。
    そこで、文章に主語である「シニフィエ」ということばを加えたうえで受動態にすると、
    「シニフィアン」は地味にふるまっていても、「シニフィエ」は、その(発言の)意図とは無関係に、単に「発言された」というその事実によってすでに、一種の強調をされてしまうのだ。
    と読むことができます。略して、「シニフィエは、発言されることによって強調されてしまうのだ」となります。

    そして。
    これを逆から「緩叙法」っぽく読むと、「シニフィエは、発言によって稀薄化することはない」となります。

    「シニフィエは、発言によって稀薄化することはない」——この文章は、明らかに「婉曲語法」を否定しています。ものごとを遠回しに言うことはできないというのは、「婉曲語法」はできないというのと同じです。

    といったぐあいにして、「婉曲語法」ということばが『レトリック事典』から消えてしまった。私(サイト作成者)は、このように読みとっています。

    なお『レトリックの記号論』では、「美化法」という名前で〈euphemism〉が登場します。このばあい「美化法」は、遠回しに使ったことによって注目されるようにすることを指しています。積極的に目立たせるのが「美化法」なのです。

    したがって「美化法」は、程度を弱めるものではありません。むしろ反対に、「美化」することで印象を深めるものなのです。

  • 余談3結論——「婉曲語法」は便利
  • で。
    そのように読みとることができるのにもかかわらず、このサイトに「婉曲語法」のページがある。それはつまり、その意見には賛成できないということです。

    本当は口にするべきではないけれども、言わなければ伝わらないなんてものごとは山のようにあります。タブーとなっているものごとを呼びたいときに、それを指ししめすことばを語るということはよくあります。

    そのときに、もしも「発言された」という事実のみによって、そのことばが強調されてしまうとしたら。それは、人と人との円滑な関係を大きく損ないます。だって、それは「本当は口にするべきことではない」「タブーとなっている」ものごとを指ししめしたことばなのだから。そのようなことばが無条件に強調されることは、相手を不快な気持ちにするにちがいありません。

    もっと、日常の会話を気楽なものとしておくためには。「お茶をにごしておく」会話が大切だと思います。たとえばお金のことにしても、排泄のことにしても。

    もちろん、まったく口にしないということが選べるのであれば、そのほうがいいかもしれません。でも現実は、そのような純粋無垢なものではありません。お金のことはタブーだからって口にしない人は、どのような生活手段をとるのでしょうか。排泄のことはタブーだからって語らない人は、一生トイレと縁を切って生きているのでしょうか。それはたしかに、きれいなことではありません。けれども同時に、生きていく上で必要なことでもあるのです。

    そして、そのようなことにたいして。
    私たちには、「お茶をにごしておく」会話ができるという、ありがたい能力が与えられています。それがつまり、「婉曲語法」です。