- 一見したところ非常識な言葉だと思われるが、実際には真実にかなっている。
(常識の裏をかいて意表をつくことにより、真実だと思われていたものを崩すことになる)
- 「対義結合」とは、「世間の暗黙の了解に対する違反」という点で同じ系列に属する。
したがって、規模が大きくなるにつれて、
「
対義結合」→「矛盾語法・撞着語法」→「逆説法」
という名前に進化していくと言える。
- 真実性が一般的に認められるようになると、それは「通念」となる。
ということになります。
このサイトでは、この説にしたがって「
対義結合」と「矛盾語法・撞着語法」と「逆説法」について解説しています。
- 新しい説
- しかし、これに反対する新しい意見も登場しています。これによれば、
- 真実を言い当てていることは確かだが、それは一面的なものにすぎない。通念のほうも生き続ける。
(常識の裏をかいて意表をつくことは確かだが、それは通念を崩すものではない)
- 「対義結合」は、見かけでは矛盾しているように見える。しかし実は、意味をニュアンスを変えて両立している。
これに対して「逆説法」は、本来の意味のままで、真っ向から対立する。
したがって、「逆説法」と「対義結合」は、異なる系列に属する。
- 一般的な考え方を否定するものであるが、けっして「逆説法」が「真実」に代わることはできない
言いかたをかえれば、「逆説法」というものは「真実」があってはじめて成り立つものといえる
ということになります。
- 「逆説法」と論証のかたち
- この「逆説法」は、たいていのばあい論証抜きのかたちをとります。つまり、「大前提」→「小前提」→「結論」という論証をふむことのない、断定のものとなります。その意味で「三段論法」という言葉と対比するならば、「一段論法」ということになります。
そしてそれは、社会にある通念と比較するまでもなく、直感的に「逆説」だと分かるためです。そのために、たいていの場合には、論証がない「一段論法」で「逆説」を用いることができるのです。
このことから、言葉が通念とは、深く結びついていると言えるでしょう。
- 「逆説法」と「ことわざ」との関係
- 「逆説法」が、たくさん使われているものとして。「
ことわざ・諺」「
成句・イディオム」があげられます。たとえば、 たとえば、「急がばまわれ」「負けるが勝ち」といったものです。
「逆説法」の条件にあてはめてみると、- 一見すると、世間一般の考え方に反していると思われる。
- けれども、よくよく考えてみると、そういった逆の考え方もできることがわかる。
といったかんじで。「逆説法」を使った「
ことわざ・諺」は、数多くあります。
- 逆説法・逆説
- パラドックス・パラドクス
- 『修辞的思考—論理でとらえきれぬもの—(オピニオン叢書44)』(香西秀信/明治図書)
- 「新しい説」ととっているものについては、こちらをおすすめします。「第二話」が「逆説は通念に寄生する」というタイトルになっていることからも分かるように、「逆説法」が「真実」に代わることはできない、という立場をとっています。同じ者の『レトリック探究法(シリーズ〈日本語探究法〉7)』(柳澤浩哉・中村敦雄・香西秀信[共著]/朝倉書店)も参考のこと。
- 『レトリック認識(講談社学術文庫 1043)』(佐藤信夫/講談社)
- 「従来の説」をとっているものについては、をおすすめします。「第5章」が「対義結合と逆説」というタイトルになっていることからも分かるように、「対義結合=逆説」という立場をとっています。『日本語のレトリック(講座日本語の表現 5)』(中村明[編]/筑摩書房)の佐藤信夫氏の執筆部分も参照のこと。