なのですが。
この説明では、いささか不十分です。どうしてかというと、ポイントとなるのは、日本語には、ナゼ「同じ音」「似た音」のことばが多いのか
というところにあるからです。
じゃあ、なんで日本語には「同じ音」「似た音」がおおいのか。その理由は、日本語には、「音節」の数が少ない
というものです。
ここで、やっと「音節」という用語が登場しました。
「多い」とか「少ない」とかの、そういった話をしているので。まず、日本語には「音節」がいくつあるのか。そっちを確認しておきます。実際のところ日本語は、いくつの「音節」を持っているのか。
日本語の「音節」がいくつなのか、という厳密な数を書くことはできません。それは、(困ったことに)学者によって意見が分かれていたりするからです。けれども日本語にある「音節」の数は、[日本語にある「ひらがな」の数 + 「しゃ」「ちゃ」みたいなものの 合計]で、ある程度の見当はつきます。おおまかに言えば、「100個よりは、ちょっと多い」くらいです。
さて、これに対して。
たとえば「英語」の持っている「音節」の数は、どのくらいなのか。その厳密な数は、こちらも書くことができません。どうしてかというと、あまりに多すぎるのです。たとえば「4000」とか(井上ひさし)、「30000以上」(楳垣実)とか、いろんな説があります。しかし、たしかな数を書くことはできません。ここでは(英語の「音節」の種類が多いほうが、説明の都合がいいので)「30000以上」ということにしておきます。
まあ、あいまいなのは「どっちもどっち」といったところです。けれど、ここでは「音節」がどのくらいあるのか。その「だいたいの数」が分かれば、じゅうぶんに話を進めることができるので問題ありません。
で、その「あいまいな数」というのを比べてみると。 ということなので。あきらかに、日本語のほうが「音節」が少ない。少ないということは、(好むと好まざるとにかかわらず)同じだったり似たりした「音節」を持っている単語が、どうしても生まれやすい。
ではその言語に、同じだったり似たりしている「音節」を持っている単語が、いっぱいあるということ。それはつまり、「しゃれ」「駄洒落」を作りやすいということになります。
以下では、ちょっとした例をあげて、考えてみます。もちろん、ことばには数学の授業で習うような確率論を当てはめることはできません。たとえば、「同じ発音」となりそうな単語が2つあったばあい。どちらかを言いかえることで、ダブることを避けるとか(=「同音衝突」)。
なのですが、ここでは中学や高校で習うようなレベルの確率論で考えることにします。なぜなら、ここを書いている私(サイト作成者)のアタマでは、これより難しいことが書けないからです。
たとえば。ここに、1つのスロットマシンがあるとします。1つは「日本語・スロットマシン」で、もう1つは「英語・スロットマシン」という名前がついています。どちらのスロットマシンも、3つのリール(回転するところ)があります。
「日本語・スロットマシン」は、100回に1回の割合で「7(セブン)」が出ます。ですが、「英語・スロットマシン」は、3万回に1回の割合で「7(セブン)」が出ます。そして、3つのリールが全部「7(セブン)」だったときが「大当たり」となるとします。
この条件で、「日本語・スロットマシン」で「大当たり」になる確率を考えてみると、「100の3乗」=「100万」 回につき1回ずつ、「大当たり」がでる
です。これに対して、「英語・スロットマシン」で「大当たり」になる確率を考えてみると、「30000の3乗」=「27兆」 回につき1回ずつ、「大当たり」が出る
というわけでして。「英語・スロットマシン」はサギだと思うくらい当たりません。これにくらべて「日本語・スロットマシン」は、もしかしたら当たるかもしれません。
ここで書いたような、スロットマシンが「大当たり」になる確率。これは、3つの「音節」をもった単語が、偶然まったく同じ発音になる。その確率を考えているのと、同じことです。かなり、キメが粗い計算なのですが。
そういったわけで。
「音節」の数が「多い」のか「少ない」のか。それが、「しゃれ」「駄洒落」を作るときのキーポイントとなる。日本語では「音節」が少ない。英語が持っている「音節」の数は、日本語よりは多い。それも、かなりの差がある。そのようなことを、理解していただけたと思います。
もういちど、結論をくり返すと。日本語に「しゃれ」「駄洒落」が多いのは、日本語が持っている「音節」の種類が少ないから
なのです。